第7号 毛利弥江さん (大阪府東住吉区) 2006年2月14日訪問
吐く息もまだ白く、頬をかすめる小さな風も冷たいプラットホームに私は一人立っていた。
私を待っている人のために早朝の祈年町を静かに発った。2月14日聖バレンタインデー、

なんで大阪やねん。

そして、新大阪駅はよう分からん。それに四方八方からリアルな大阪弁です。
だから、街全体がまるでドルビーサラウンドのように大阪弁を放っています。

そして、記念すべき第7回目の砂金の人は、運命学鑑定士の毛利弥江さんです。

呪ったりしないわよ。。。

そう、運命学の鑑定とは学問です。
だから、単なる占いとは違います。

でも、個人的にはとってもオカルティ。

ちなみに、私は弥江さんのことを
以前から会長って呼んでいました。で、

会長が怪鳥になって怪鳥ロプロスです。
そう、バビル二世のシモベのことです。

だから、今では本人の意見は無視して、
オカルティ・ロプロスと呼んでいます。

そして、バシッとスポットを当てました。

ふと振り返ると弥江さんとは、私が住民放送を始めたときからのお付き合いですが、 リアルにこの世で会ったのは、この貴重な聖バレンタインデーを含めて3回目です。 でも、まったくそんな感じはしなくて、何十回と会っているような気分になります。 多分、きっとあの世か前世で会っているのかも知れません。そんな訳はありません。 2月14日(火)に、大阪府東住吉区の事務所兼自宅にお伺いしました。 AIVONの化粧品も取り扱ってますよ〜 美はね、女の命なのよ で、今回は弥江さんの生い立ちから現在までを時系列で物語って行きたいと思います。 だから、かなり長くなるとは思いますが、これを読んだ人はきっと私は恵まれている、 そんな気持ちになるはずです。絶対になってしまいます。こんな私は恥ずかしながら、 41年間も生きてきましたが、このような人生を歩んだ人に会ったことがありません。 だから、随分昔に大流行したNHKの『おしん』がバラエティかコメディに思えます。 そして、どんな偉い人やお金持ちでも自分の生い立ちはどうやっても変えられません。 弥江さんが生まれたらすぐに、両親が離婚をしてしまいました。そして、弥江さんは、 父方の親である祖父母にあずけられました。でも、その頃は楽しく暮らしていました。
そして、小学校3年生のときに、
実の父と継母とその息子と娘と、
5人で暮らすことになりました。

これが始まりでした。食事のときは、
4人がハンバーグを食べているのに、
幼い弥江さんだけサンマの尻尾です。

また、洗濯さえもしてくれないので、
自分でしては干す場所もないために、
自分の机の真上に干していたんです。

しかし、机があると言っても、
自分の部屋ではなく廊下です。

しかも、廊下の奥の突き当たりです。

正統派のご祈祷がここで受けられますッ!
しかし、さすがにシーツだけは机の上に干せなかったので、祖母の家で干していました。 すると、キレイになったシーツが気に入らない継母はそれをビリビリに引き裂きました。 それから中学3年までは、学校から帰ってもまったく遊べませんでした。そう、朝食は、 4人の食べ残しがあったら食べて、その食器を洗うのが学校から帰った弥江さんでした。 だから、遊べません。中学は給食ではなく弁当でした。で、継母が作る弁当は決まって、 イワシが一本押し潰されたものでした。当然、恥ずかしくて持って行けない弥江さんは、 近所のスーパーに交渉して100円以内で買えるパンを分けてもらい、毎日パンでした。 小学校のときは毎日同じ服なので、学校に行けば行ったで友達にさえイジメられました。 もうどこにも行き場なんてまったくなかった。そして、グレることすらもできなかった。 グレることができる人なんてきっとまだ余裕がある人です。それすらできませんでした。 後に なにかいた? 今日は3月3日です。これまでの文章は2日に書きました。 でも、書いていて少し辛くなってきたので日を改めました。 そして、小学6年までは2日に1回の割合で実の父親と継母から暴力を受けました。が、 それから中学3年までは毎日暴力を受けました。警察に言っても取り合ってくれません。 まだ虐待と言う言葉が広く認知される前のことで警察などなにもしてくれませんでした。 勉強をするにも時間もなくまた、電気代がもったいないとか言われて電気も使えません。 だから、仏壇のローソクで教科書を読みました。写真の通り弥江さんはまだ30代です。 戦前の人の防空壕でのお話ではありません。で、ローソクはすぐに溶けてしまいました。 中学2年のときに祖父がなくなって祖母の家で一緒に寝泊りができるようになりました。 でも、家事をしなければならないので、寝泊りだけは許されても後は今までと同じです。 中学を卒業したら働くって祖母に言ったら、高校だけは出た方がいいって言われたので、 祖父の保険金を入学金に当てて高校に入りました。でも、学費はすべてアルバイトです。 今、午後の3時を10分ほど過ぎたところです。熱い紅茶も少し冷めて、 窓には陽射しも当たり『大阪で生まれた女』を聴きながら書いています。 当然のように学費はすべて自分のアルバイトで支払い、高校を卒業して就職してからは、 祖母に入学金もきれいに返しました。それが弥江さんなりの感謝とけじめだったんです。
階(きざはし)とは、人を明るい方へ導く架け橋のことなのよ
そして、人間不信なんて通り越していました。だから、
いつでも自分一人で生きていく覚悟だけはありました。

中学2年のときは、まるで人形のように殴られ続けて、
過剰なストレスのために失語症になりました。言葉が、
口から出ないんです。また、あろうことかこの継母は、

弥江さんが保育園に通っていたときの担任の保母です。
そう、父親と結婚する前からイジメられていたんです。
だから、人間不信になるのはきっと当たり前なんです。

でも、中学2年の失語症のときには、学校の友人にやさしくしてもらって助かりました。 本当に助かりました。だって、そのときに学校でもイジメられたら飛び降りていました。 それまでにも手首に刃物を当てたこともありましたが、小学生では刃物が滑るそうです。 だから、どこか高い所から飛び降りればきっと死ねる、そんなことを考えていたんです。 そして、高校を卒業してからはOLとして働いて、今までとは違った自分のようでした。 しかし、25歳のときに今まで暴力を振り続けた父親と継母から連絡がありました。で、 よせばいいのに行ってみたら、父親が原因不明の病気で余命3ヶ月だと言うことでした。 2人は土下座をして今までのことを詫び、商売を弥江さんに継いで欲しいと言いました。 それは従業員をそこそこ抱える牛乳配達の会社でした。ひどい仕打ちを受けて来たけど、 やっぱり父親とは血が繋がっていると思った弥江さんはOLを辞めて商売を継ぎました。 余命3ヶ月と言う医師の診断書がやはりこたえました。そして、父親のお見舞いに来た、 前の会社の同僚の男性を父親が気に入り、どう言う訳だか結婚をするハメになりました。 余命3ヶ月だから仕方がない。でも、結婚だよ。だから、寝る間もなく働き続けました。 牛乳配達の仕事なので睡眠時間は2時間でした。そして、結婚した亭主は働かなかった。 集金したお金を継母に渡しても弥江さんには1円もくれません。毎月30万円の給料が、 商売を継ぐときの約束でした。それどころか仕入れのために自分の貯金まで崩しました。
それから3ヶ月が経ったある日、
余命3ヶ月の病の父親が現れて、

出て行け!と理不尽に言いました。

弥江さんが給料をくれと言うのを
耳にして怒鳴り込んで来たんです。

だから、3ヶ月働いた弥江さんは、
たったの10万円だけをもらって、

そこを去りました。そう、
役立たずの亭主と一緒に。


そして、ゆっくりとご覧下さい→

いろんな鑑定のメニューが書いてありますよ
ちなみに、その余命3ヶ月の父親は、10年以上も経った今でも生きているどころか、 今年の1月に20歳以上も若い女性と再々婚をしやがりました。で、継母も元気です。 そして、役立たずの亭主ですが、役に立たないどころか蓋を開けたら借金地獄でした。 サラ金に500万円の借金です。それを弥江さんがたった一人で1年で返済しました。 これでこの役立たずの亭主とも縁を切ろうと思ったのですが、このまま放り出しても どっかで野垂れ死ぬだけだろうと思ったので、たった一つだけ勤まる職を探しました。 それが僧侶です。弥江さんは中学2年のときから占いを始めました。だから、 自分はこのまま死んで行くのだろうかとジッと考え出したときです。そして、 本格的に運命学を学び始めたのが26歳になってからです。そして、今です。 運命学で最後まで役に立たないどころか迷惑ばかりを掛け続けた亭主を鑑定したら、 ここには書けない有名な寺の僧侶が見えました。で、そこに亭主を連れて行ったら、 速攻で僧侶として迎えてくれたんです。なに一つ満足に勤まらないこの亭主ですが、 今でも僧侶としてそこにいます。でも、僧侶ってそんな人種ばっかじゃありません。 これでもキレイにしました だって、うちB型やさかい そして、徹底的に運命学を学び修業して今の父の養女となったのは33歳のときでした。 養父は日本でも指折りの祈祷師です。今までの人生を良くするために養女となりました。 それからは、ウソのように毎日が幸せです。そして、弥江さんが凄く立派に思えるのは、 言葉に表し難いような過去の悲惨な傷を完全に消し去ってしまっていると言うことです。 だから、トラウマどころか誇りにさえ思えるそうです。こんな人生でよかったんだって、 心から思ってます。すべて笑いのネタにできるくらい、それも含めて全部が自分だって。 そして、もう一度、あの悲惨な頃の自分に戻れと言われたら喜んで戻るそうです。逆に、 今の私だったら、こうしたいとかこうやった方がよかったとかって思うそうです。そう、 毎晩、実の父親と継母にビール瓶で殴られ続けたあの時代です。抵抗できなかった頃の。 でも、なにがあっても絶対に自らの命を絶つことはありません。簡単に命を絶つ人って、 きっと恵まれていることが凶器となっているはずです。そして、きっと不足がある人は、 頑張るしかないんです。だから、なんでも満ち足りるとあとは絶つしか道がないんです。 で、弥江さんは幸せになるためには、とにかく先祖を大切にするべきだって言いました。 ビール瓶で殴った父でも犯罪者でも、先祖が1人でも欠けると今の自分は存在しません。 先祖に善し悪しは、ない。 そして、生きている以上はきっとだれかに愛されているはずです。でなきゃ迫害されて、 とっくに殺されてるはずなのって弥江さんは言いました。だから、きっとその幼い頃も だれかに愛されていたんです、ってね。これに気づいたときには今までの悲惨な思いを 楽しさに変えられたそうです。生きているものにはきっと存在価値はあるはずなんだと。 それが、毛利弥江さんです。
お父ちゃん、今、幸せやな
本当に今が幸せでイッパイだと言う弥江さんは、

“自分の人生を全部使って人助けをしたいです”
 私のような経験をする人をなくしたいんです。
そう言うと、さらに続けて言いました。

“だから、自分の経験と鑑定で人を助けたい。
 でなきゃとっくにこの世に存在していない”

ってね。
宗教はNGだけど信仰心は大切です。

だから、信仰の対象は先祖であったり自分でもあるんです。
きっと信じ切るその思いがすべてを良い方向へと導きます。

そのお手伝いを弥江さんは天職の如くやっています。そう、
だれにも経験できないようなひどい目にあって来ましたが、

それをカミングアウトして、そして、
自分の運命学の集積を活用しながら。

弥江さんのホームページのタイトルになっている階(きざはし)とは、
神社などのお賽銭箱の向こうにある小さくて低い階段のことなんです。

ですから、人を明るい方へと導く架け橋となりたい、
そんな思いを階(きざはし)と言う名に込めました。

弥江さんが運命学の鑑定士になるキッカケとなった、
その壮絶な生い立ちを時系列に書きました。そして、

たった今、多くの悩んでいる人たちの少しでも救いになれば嬉しいです。

最後に、弥江さんに「そんな大阪から逃げ出そうって思わなかったの?」
そう私が訊ねると、笑顔で「うち、大阪で生まれた女やさかい」ってね。

辛く苦しかったその頃でも弥江さんにとってはきっと青春だったんです。
そして、今から灰色の大阪の街に置き忘れた青春の欠片を取り戻します。

この物語は、悲しいことにノンフィクションでみんな実在しております。

本当にありがとうございました。本当に嬉しかったです。
                            杉山弘道





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