第8号 野口博史さん (岐阜県岐阜市) 2006年3月15日訪問
悲しいことに今日がこの世の終わりだとしたら、最後の晩餐に鰻を食うこんな私は、
ある晴れた日に「美味しい鰻屋さんができたよ」って誘われて速攻で出掛けました。

そして、風情と味がある粋なお店でとっても美味しかったのですが、
お話をしながらなので大量のお米を座布団にこぼしてしまいました。

だから、集中力と右手の握力と口の周りの筋肉が若干、衰えてます。

そして、記念すべき第8回目の砂金の人は、株式会社香瑛住研の野口博史さんです。

こんな笑顔でも、昔はケンカっ早かったのよ
見た目に若く見える野口さんは、
たった今、40歳です。だから、

私よりたったの一つ若いだけですが、
並んで歩くと親子のように映ります。

ここ最近、なんだか急に老け込んだ、
そんな杉山さんをとっても感じます。

だから、私は私なりに頑張るんで、
そんなことはどうでもいいんです。

ご覧のとおりの偽りの笑顔ですが、
その裏側に秘密が隠されています。

そこにバシッとスポットを当てました。

そして、この作り笑顔の野口博史さんは、こう見えて食うのが早い。 こっちは味わって鰻を食いたいのにかき込むように食べていました。 そう、短い質問を投げかけてはガツガツとむさぼるようにあなたは食べていますが、 こっちは真剣に考えながら懇切丁寧に話しているので、ますますその差が開きます。 そして、今日まで明かさなかった過去とこれからの思いを切々と語ってくれました。 3月15日(水)に、岐阜県岐阜市のモデルハウスのような会社にお伺いしました。 すっごく立派なモデルハウスのような会社です 机の上は整理されていないけどね とにかく若い頃はケンカばっかやっていました。正確に言えば、若い頃からやっていました。 ってことは、若くなくなってもケンカはいつもやっていました。今では足を洗ったそうです。 しかし、休火山みたいなもので、いつまた噴火するか分かりません。 だから、そんなことを言われても文句が言えないような生活でした。 岐阜県は揖斐郡と言う限りなく筆舌に尽くし難い大自然の中で育ちながら、 どう言う訳だか、箸が転がっても笑うんじゃなくてキレる男になりました。 空気と水がキレイな高校でもかなり暴れはしましたが、不良とかイジメの類ではありません。 今でもそうですが、野口さんは決して群れることを好みません。だから、決まって一人です。 弱い者を殴るんじゃなくて、目が合った奴を殴っていたんです。で、いいことなのか? まだ弱い者を殴ってる方が、それなりに少しはマシなような気がしないでもないです。

そして、なんとか高校は卒業して、
家具のメーカーに就職しましたが、

2ヶ月で辞めました。そのとき、
自宅を飛び出ました。それから、

友だちのアパートに居候をして、
ビデオ店とか百科事典の販売の
アルバイトとかをやりましたが、

みんなダメで速攻で辞めました。

その時代に付き合っていた女性が、
現在のとっても明るい奥さんです。

いいねぇ。太い梁が昭和を感じさせます
そして、アルバイトを転々としたその頃は、今の奥さんに食わせてもらっていました。 だから、とってもみっともないお話ですし、今でも奥さんにはアタマが上がりません。 結婚をしたくても定職に就いていないため、奥さんの父親からは許してもらえません。 だから、身内のコネで農協に入りましたが、結婚が無事できたのですぐに辞めました。 また、その後、今の仕事につながる不動産会社に入りました。そう、 野口さんの今の仕事は、環境に配慮した良質な家を作る工務店です。 宅建の資格も取得して、来る日も来る日も深夜遅くまで働きました。ある日、 遅くまで頑張って営業から帰って来たら、上司がカラオケに行っていたので、 その場で辞めました。すでにバブルがはじけた後でしたが、 組織には向かいなので自分で商売をやる決意を抱きました。 その年に個人事業としてスタートして半年間でなんと1000万円を貯めました。 そして、平成18年の現在では年商5億円で9人の社員を抱える立派な会社です。 無理に電気を点けなくてもいいのに。。。 社員はみんな20代の精鋭ばっかです しかし、なにかに違和感を感じる野口さんは、まだケンカをしていました。 フツーは結婚をして子供ができたら目覚めるものですが、そこは男!野口、 一人目を身ごもった奥さんを助手席に乗せて運転をしていたときも、 プチッとキレたこの亭主は岐阜バスの前に車を回しこんでは止めて、 「お願いだからやめて!」って叫ぶ妻を足蹴にし、運転手を引きずり降ろしました。 で、いつも車の中に棍棒を常備していた野口さんは、それで殴り掛かろうとしたら、 その運転手は長い傘を持っていて、逆にボコボコに打ちのめされました。長さです。 恐るべし、岐阜バス。 そんな気の短い人生を30歳まで続けていました。だから、100回近くのケンカです。 でも、決して好き好んでやっている訳じゃなくて、なにかが物足らなく感じていました。 その飢えた状態のまま半年間で貯めた1000万円を元手に香瑛住研を旗揚げしました。 で、そのときの最初のお客さんが若い野口さんに「商売人なら奥さんを大切にするんだ」 そんな言葉を言い残しました。しかし、その当時はなんのこっちゃ分かりませんでした。 そして、この言葉がその後に、とっても大きな意味を持つことをこの亭主は知るんです。
住宅としても使えるような作りです
野口さんが高校3年生の18歳のとき、
今の奥さんが短大1年の19歳のとき、

若い2人はアルバイト先で知り合いました。
まるで『神田川』のようないい時代でした。

でも、洗い髪じゃなく身と心が芯まで冷えて、
小さな石鹸がカタカタと鳴ったんじゃなくて、

相手のあごをガタガタと震わせていたんです。
野口さんは彼女の身体を抱いて「逃げるなよ」って言ったのよ。 だから、奥さんには苦労の掛けっぱなしで、 まったくいいことなんてなにもありません。

昔も今も、香瑛住研は一切、
こっちから営業をしません。


お客さんがお客さんを呼んで来ます。
昔の未熟なときに作った家だったら、

勝手に行って無料で修理をしています。
だから、苦しかったときのお客さんは、

いつまでも絶対に忘れられません。
その人がいたから今日があります。


まずは、ゆっくりとご覧下さい→


これからはサイトにたくさん集まる仕掛けも考えます
そう、香瑛住研を始めた当初の野口さんは、金無垢のロレックスを左手にはめて、 喜平の分厚いブレスレットをつけた右手でロールスロイスのハンドルを握りしめ、 助手席には身ごもっていないキレイなお姉さんを乗せて海の見える別荘まで行き、 アメリカで取得した簡単かつ安い免許でヘリコプターに乗って帰ると言う野望が、 夢でした。 自分さえ幸せだったらそれでいいんだ。お金があればなんでも必ず手に入るんだ。 それはケンカで憂さを晴らすのと似ていました。欲求を解消する一つの手でした。 機能とデザインを兼ね備えた住宅なのさ おぉ!あの志賀さんも手伝っているそうです そして、それは間違っていました。それが恥ずかしいことなんだとある日気づきました。 だから、最初は良かった売上げも、独立して3年目には家賃が払えなくなるほどでした。 途方に暮れて投げやりだったそのときに、ある大阪の知り合いの社長から言われました。 「もっと身の回りの人を大切にするんだ。それに自分が今あるのは先祖のおかげなんだ」 これを言われたときに、野口さんの最初のお客さんが随分前に言った、 「商売人なら奥さんを大切にするんだ」と言う言葉を思い出しました。 だから、家賃が払えないような苦しい状況でも、隣にいる奥さんはいつも明るかった。 そして、ケンカを含め見栄と物欲に意欲を燃やし続けた自分が虚しく思えてきました。 自分の一番身近な先祖って親です。両親と奥さんと社員とお客さんを大切にしました。 すると少しずつですが、小さな仕事から大きな仕事へと徐々に注文が増え始めました。 これが本当の姿なんだと深くうなずきました。そして今では、 売上げも順調に伸びていますが、会社を大きくするつもりは、 まったくありません。それよりもその中身を強く最良にしたい。 また、社員の給料はその同年代の中では最も高くして行きたい。 だから、香瑛住研に関わる多くの人が喜ぶことをとにかくやりたいし、 そして、香瑛住研に関わる多くの人の喜ぶ笑顔を多く見たい、ってね。 でも、本当に心から喜びその喜んだ笑顔を見たいその人は奥さんです。 そう、奥さんを幸せにすることを目標にしているから頑張れるんです。 それが野口さんの熱い思いでした。
身ごもってないお姉ちゃんでなくて悪かったわね
かつてロールスロイスと金無垢に憧れた野口さんは、

“とにかく今は、カミさんと一緒にいたいんです”
そう言うと、さらに続けて言いました。

“だから、今までなんにもしてやれなかったから、
 その分、今は一緒にいる時間を多くしたいです”

ってね。
約十年前に初めて会ったときの印象は、
とっても温厚な人に見えはしましたが、

たしかに、ちょっととがったところも感じました。が、
今回の取材で感じたのは、顔がスッキリとしています。

だから、今ではロールスロイスどころか、
廃車寸前のチェイサーに乗っていました。

なにもそこまで落とすことはありません。

本当に1からではなく0から今日を築きました。
しかも、住宅の建築と言う大きな仕事なんです。

その人の人生をかけて、たったの1軒しか造ることのない家。
そう、多くの人の夢であるその家の建築を0から始めました。

とっても立派です!

ミリ単位で板の厚さを測るその姿は、ちょっと異様です。
それだけいいものをお値打ちに提供し続ける野口さんは、

社員からでも業者さんからでも、絶対に“社長”とは呼ばせません。
決まって“野口さん”です。役職で喜んでいるヒマなどないんです。

本当にありがとうございました。本当に嬉しかったです。
そして、本当に美味しかったです。またおごって下さい。
                            杉山弘道





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