5メートル先の視界を薄っすらと遮る霧雨の夜にたった一人、池袋。だから、
モーレツに寂しくって狭いホテルの一室で激しくパソコンで遊んでいました。
そう、基本的に枕が変わるお泊りは苦手です。東京で泊まるなんて私には考えられません。
沖縄でさえ日帰りしたいくらいです。かと言って、自宅で愛されている訳ではありません。
だから、前日の汗と霧雨を存分に含んだグレイのスーツで池袋から練馬へと向かいました。そして、
記念すべき第11回目の砂金の人は、有限会社クリエイト・ア・ブックジャパンの武田善貴さんです。
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こんな写真なので最初に申し上げますが、
武田さんのご先祖はサンタクロースです。
だから、大ウソです。
そして、武田さんは、
世界29ヶ国で販売され愛されている
オリジナル絵本のジャパンの社長です。
要は、ジャパンの総代理店ってことです。
今ではジャパンの中に220店舗以上の
代理店がありますが、ここまで来るのが、
まったくもって激しい苦労の連続でした。
そして、バシッとスポットを当てました。
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そして、くどいようですが、池袋のデニーズも岐阜のデニーズと同じです。
ウエイトレスの制服も珈琲のお値段もお代わり自由なサービスも同じです。
だから、枕が変わったのにどう言う訳だか自宅よりもぐっすりと眠れちゃった私は、
池袋駅に向かって左にあるデニーズで熱い珈琲を言われるままに3杯も飲みました。
そして、実際に体験した人生の転機と成功への道程を切々と語っていただきました。
6月16日(金)に、東京都練馬区のとってもメルヘンな会社にお伺いをしました。

バブルが崩壊する前とした後では宝石の売上げが3分の1になりました。そう、武田さんは、
大学を卒業してから近くの西武百貨店に入社して宝石の外商をカバン一つでやっていました。
何百万円もする石が、次から次へと簡単になんて売れっこありません。その当時、
有楽町店の宝石売り場の責任者だった武田さんはかなり追い詰められていました。
だから、自分は自分のノルマを達成しなければならないことは当然ですが、
部下もいます。自分のことで精一杯なのに部下の世話もしなきゃいけない。
毎日、部下よりも早く出社して毎日、終電で自宅に帰る日々の繰り返しでした。
上司にはネチネチと小言を言われて、きっと昇進も難しいだろうと思いました。
「どうせ苦労をするんだったら会社のためじゃなくて、自分のためにしたい」。だから、
そのときにそう思いました。同じ時間を費やすのなら、自分だけに費やしたい、ってね。
そんな折、武田さんはアメリカに
留学しているお客さんのお嬢から、
登場人物を好きに置き換えられる
オリジナル絵本の話を聞きました。
名前や年齢や住んでいる場所等が、
自分の好きなように設定ができる
イージーオーダーの絵本です。で、
これだ!ってピーンと来ました。
これはジャパンでも必ず売れる。
そんなまったく根拠のない自信が、
自分の中に激しく溢れ出しました。
そう、このお嬢がキッカケでした。
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丁度そのとき会社ではリストラの一環として、早期退職者の募集が始まっていました。
今、辞めれば退職金も上乗せされる。だから、15年間勤めた会社を今、辞めました。
1995年のことでした。そして、オリジナル絵本の版権を持つ会社と交渉するため、
1995年にカナダに飛んでジャパンで初めての代理店としての権利を取得しました。
そして、翌年には会社を設立して、自宅の一室の改装やパソコン等の機材の仕入れに、
退職金の600万円を当てました。そこまでやるからには商品には自信がありました。
しかし、どこのだれにどうやって売ってよいのかがまったく分かりません。
だって、今までに何百万円もする石は販売しましたが、絵本は未経験です。
そして、今までに何百万円もする石を販売していたときの奇特な同僚から、
百貨店のスペースを貸してあげるから実演販売をしたらって言われました。

本当にありがたいです。武田さんは多くの友人に助けてもらってばっかいました。
フロアの片隅に一つの机を置かせてもらいました。クリスマスの時期だったので、
武田さんはサンタクロースの着ぐるみを見事に着こなして実演販売を始めました。
するとかつての同僚たちはそれを見て「よくそこまでできるな」って言ったのよ。
そして、サンタさんは言いました。「当たり前だ!これが商売の原点だ」ってね。
実演販売のせいもあって少しは売れましたが、でも、一ヶ月の利益は5万円です。
さすがにこれだけ頑張って5万円では、少々凹んで不安もアタマをかすめました。
だから、それから2年間ほど無収入に近い状態で奥さんに食わせてもらいました。
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でも、食わせてくれる奥さんだから幸せ者です。
世の中にはただ食うだけの奥さんが結構、多い。
それでも絶対に成功させてみせる。
できると言う強い信念があるんだ。
だから、いかなる困難が目の前に現れようとも、
それをぶち破るだけの覚悟はすでにありました。
そして、その熱い想いがたしかに伝わりました。
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奥さんに食わせ続けてもらって早2年が経とうとしていた寒い冬でした。
TBSの夕方のニュース番組から武田さん宛に一本の電話がありました。
もうすぐ寒いクリスマスです。温かいクリスマスにするための企画です。
そう、オリジナル絵本をクリスマスの贈りものとして紹介する企画です。
武田さんと私が最初に出会ったのは、
東京ビッグサイトでのイベントです。
あれは3年前、止める、あなた、
駅に残しぃ〜。それは『喝采』。
そう、3年前にこの絵本を知って、
すぐにでも始めたかったのですが、
メルマガ発行の準備とか、そして、
メルマガ発行の準備で忙しかった。
あ!だったら鶴にお願いすればいい。
ってことで、今回から鶴の登場です。
■まずは、ゆっくりとご覧下さい→
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せっかくの取材だから、自宅での作業風景を撮ってもらっても仕方ありません。
そう考えた武田さんは、知り合いの銀座プランタンの担当者に電話をしました。
そう、お得意の実演販売です。サンタクロースの着ぐるみは着ませんでしたが、
銀座プランタンの前に一つの机を置かせてもらいました。すると長い行列です。
せっかくサクラまで用意をしたのに東京の人って目の前に人がいると並びます。
岐阜ではまったく考えられません。そう、どこに行っても人などいやしません。
TBSの夕方のニュース番組に取り上げられるとさらに行列が長くなりました。
そして、その12月だけで約1000冊の絵本を販売しました。武田さんには、
温かいクリスマスが訪れました。着ぐるみではなく本物のサンタクロースです。
申し訳ありません。自分で書いていながらとっても感動をして涙ぐんでいます。
これがキッカケでした。この絵本を知ったキッカケはお金持ちのお嬢でしたが、
武田さんの商売が上手く軌道に乗り出したキッカケはTBSの夕方からでした。

今ではジャパン全国に多くの仲間がいます。武田さんの元から仕入れて売る仲間です。
また、世界29ヶ国で販売されている絵本以外にジャパン・オリジナルを作りました。
だから、今の武田さんを知った昔の同僚とか古い友人たちは「武田は運がいい」とか、
「武田はツイてる」とか口々に抜かします。そして、武田さんはいつもこう言います。
「カナダに行くか?退職金の600万円を注ぎ込むか?サンタの着ぐるみを着るか?」
そして最後に「2年以上も嫁さんの世話になり続けられるのか?」と静かに言います。
絶対にチャンスは平等にあります。今でも目の前を通り過ぎているはずです。だから、
それを掴むかどうかだけなんです。気づいたら手を伸ばしているかどうかが肝心です。
そして、武田さんがこれからやりたいことは、その人にとっての逸品を作ることです。
だから、パーソナライズド・グッズを新たに開発して多くの人に広めることなんです。
その人が主人公になれる、その人だけの世界にたった一つの逸品です。
それをパーソナライズド・グッズと言います。主人公は自分なんです。
そして、武田さんが西武百貨店で実演販売をしていたときのお話です。
あるお年を召したおじいちゃんとおばあちゃんが、お孫さんのために
一冊の絵本を注文してくれました。その場でお孫さんの名前を入れて、
生まれた日時を身長と体重を病院とお医者さんの名前等を入れました。
記入した文字に間違いがないかどうかを確認してもらったそのときでした。
おじいちゃんとおばあちゃんが絵本を手に取って、静かに泣いていました。
かけがえのない孫の名前と一緒に自分たちの名前も入っています。
そして、
その物語の内容にとっても感動をしてくれました。そう、
間違いなくこの仕事は人のためになる仕事なんだ。これが一生の仕事なんだ。
武田さんは確信をしました。そして、そのときのことを今でも思い出します。
そう、まだ見ぬ人がきっとジャパンのどこかで待っているはずです。だから、
いかなる困難でも“断じて行えば、鬼神もこれを避ける”と言う心意気です。
そして、一人でも多くの人に夢を与えることができれば武田さんは本望です。
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秋田県から来た仲間の一人と笑顔の武田さんは、
“どんな商売でも大勢の中でどう戦うかですね”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“だから、気づくか気づかないかが大きな差で、
気づいたら手を伸ばしているかが肝心ですね”
ってね。
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