ソッと寄り添うように泳ぐ2羽の鴨を眺めていたらオレンジ色の小さな夕陽が湖面を照らした。
湖面に広がる波紋のような甘いロイヤルミルクティーを飲んだら肺に入った、とってもお好き…
夕陽の彼方へ消えていった2羽の鴨を目で追いながら寂しげなショパンの調べを静かに奏でた。
冷たい風が頬をかすめたので湖面を覗くと髪がバッハだった。夕食は甘酸っぱい鴨鍋がお好き…
だから、こんなたった4行の巻頭文を考えて書くだけでも40分以上もかかってしまいました。
そして、記念すべき第14回目の砂金の人は、こんな巻頭文を毎日書いている竹内圭子さんです。
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でも、単なるナルシストではありません。
圭子さんには本業があるんです。それは、
ピアノの先生です。幼稚園児からは、
ピアノのてんてぇと呼ばれています。
そう、今ではご自宅でピアノを厳しく、
本当に厳しくビシビシと教えています。
私も教わっていますので肌身に感じます。
でも、圭子さんにも変遷があったんです。
教師から専業主婦へ。その後また教師へ。
その変遷を経て感じたことがありました。
そして、バシッとスポットを当てました。
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埼玉県の上尾市までは来たことがありましたが千葉県は初上陸です。
圭子さんとは東京駅で待ち合わせをしましたが遭遇しませんでした。
二人とも自分の住んでいる場所でしか東西南北が分からないんです。
人ごみの中でケータイ片手に泣きそうになったらめぐり会いました。
そして、今の自分に課せられた大切なお仕事への思いを切々と語っていただきました。
9月15日(金)に、千葉県鎌ヶ谷市のピアノが置かれたご自宅にお伺いをしました。

どうでもいいんですが、私は取材に来ただけでランチを食べに来た訳ではありません。
鎌ヶ谷市のご自宅に着くや否や、圭子さんはキッチンに入って料理を作り始めました。
勘弁してくれよな。サッサと取材を終えて岐阜に帰りたいんだ。
と心の中で本当に強く叫びましたが圭子さんはマイペースです。
すると「道端のよもぎを家族で採ってきたの。パンにしたの」と言いました。
だから「ありがとうございます」と私はわざと驚いたような顔で言いました。
でも、心の中では「道端の?ちゃんと洗ったんだろうな」と疑心暗鬼でした。
私はなにがあっても料理を作り続ける圭子さんにそれとなく訊ね始めました。
ピアノは4歳から習っていて音楽の道にも進みたいと思ってはいたそうです。
高校受験も音校を受けようと頑張りましたが、保守的な体質が肌に合わずに、
普通高校へ普通に入りました。圭子さんはこんな風に見えても数学が好きで、
高校生のときは理数系の大学に行って数学の先生になろうと思っていました。
でも、理数系の大学は受けるな!
と担任の先生に言われたんです。
その理由は、理数系は男の学科で、
女には文科系だと言われたんです。
圭子さんは何時代の人でしょうか。
音校だけじゃなくて普通高校も、
思いっ切り保守的な体質でした。
そう、発想が安直な圭子さんは、
じゃあ普通のお嫁さんになると、
まるでキャンディーズのように、
なんの迷いもなく思ったんです。
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圭子さんは中学の頃の同級生とお付き合いをしていました。それが今の旦那さんです。
私は普通のお嫁さんになるの!と思っていたので、まったく勉強などしませんでした。
でも、大学だけは受けてみたくなりました。でも、願書の受付がほとんど終わりです。
そう、すべてに遅いんです。すると一校だけ願書がまだ間に合う大学を発見しました。
それが
文化女子短大でした。その大学はデザインを学んで陶芸を探求する大学でした。
しかし、大学2年のときに好きなピアノを職業にした方がいいと恩師に言われました。
きっとデザインと陶芸の才能がなかったのかも知れません。と私は確信しました。
そして、圭子さんはちょっと難関のヤマハの試験を受けると見事に合格しました。
そのままヤマハのピアノ講師として働きました。しかし、最初の給料は7万円でした。
本当に何時代の人でしょうか。でも、いくら給料が安いと言っても生徒は子どもです。
手は抜けません。真剣に教えました。まるで真っ白なカンバスに絵を描くようでした。
するとその熱意がクチコミで広がって7年後には給料が3倍以上に膨れ上がりました。

そのとき「ビーツのスープにサワークリーム入れていい?」と圭子さんが訊ねました。
ビーツ?「分かんないですけどメープルシロップがいい!」と私は真顔で答えました。
で、結婚したのが25歳です。27歳でヤマハを辞めて28歳で長女を出産しました。
それから40歳までは専業主婦でした。その間もズ〜ッと働きたいと思っていました。
そして、40歳のときに近所の奥さんが娘のレッスンをして欲しいと頼んできました。
本当に嬉しかった。そのときから現在に至るまで自宅で子どもたちを教えていますが、
そのときの奥さんの一言がなかったら、今の自分はなかったかも知れません。だから、
それほどピアノに関わる仕事がしたかったんです。生徒一人一人に愛情を注ぎました。
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仕事が大好きな圭子さんは今でも平気で徹夜をします。
そう、子育てに比べればどんな仕事でも楽なもんです。
本当に忙しい毎日の中でも、急ぎの仕事があれば、
徹夜をしてでも期日に遅れることはあり得ません。
子育てって自分一人ではなんともならないんです。
でも、仕事なんか自分だけで必ずカタがつきます。
だから、その頃を思い出しながらいつでも頑張ります。
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でも、私はいつも疑問に思うのですが、圭子さんってなにがそんなに忙しいの?
徹夜をすると言ってもそんな時間に生徒は来ないだろうし。本当に不思議です。
きっと湖面に広がる甘ったるいロイヤルミルクティーとオレンジ色の小さな夕陽をネタに、
センチメンタルな巻頭文を作ってあちらの世界に行っているんじゃないかと私は思います。
しかし、忙しい理由が分かりました。
圭子さんはショップ用のメルマガを
1年以上も勉強して書いていました。
ネットショップの店長に代わって、
コーディネートするのが仕事です。
圭子さんはいろんなことに取り組み、
寝る間を惜しんで仕事をやりました。
このHPもすべて自分の手作りです。
本当に美術を勉強したのでしょうか。
大雑把な性格が、とってもお好き…
■まずは、ゆっくりとご覧下さい→
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だから、圭子さんは42歳のときにその世界では有名な女性の起業家と知り合って、
ネットショップ向けのメルマガを勉強してそれを仕事の一つにしようと考えました。
ちょうどその頃に、こんな私は圭子さんからメールをちょくちょくもらいましたが、
発信時間が明け方の3時ばっかだったので市場で働いている方だと思っていました。
とにかく量を書かなきゃと思いました。圭子さんは読み手に想いを伝えるためには、
たくさん書かなきゃいけないと思って文章を書き続けるためのトレーニングとして、
自分のメルマガをまぐまぐ!から発行しました。それが【
ピアノのおけいこ】です。
自分だけじゃなく相手が向こう側にいないときっと萎えて続かないと思ったんです。
ピアノをメルマガのモチーフにしたその訳は、音楽を以前にやっていたと言う人が、
圭子さんの周りにたくさんいたのでもう一度、音楽に触れて欲しいと言う想いです。
今では完全日刊で365日書き続けています。しかし、最初の頃は日曜休刊でした。
それは音楽の休符みたいに休みを入れた方が逆にインパクトがあると思ったんです。
でも、それはまったくの思い違いでした。
■圭子さんと私の写真をクリックするとそれぞれが弾いたピアノの調べが流れますッ!
クリスマスの日曜日です。圭子さんはクリスマスの日曜日にメルマガを発行しました。
それはクリスマスだったので、たまたま号外のつもりで気分転換に出しただけでした。
すると京都から「とっても嬉しかったですよ」と1通のメールが届きました。
圭子さんはちょっと気になりその方にメールを出しました。お話を伺ったら、
主人が亡くなったばかりで寂しかったときにメルマガが届いて本当に嬉しかったです。
その方はそう言いました。その人のためだけでもいいからいつまでも私は書き続ける。
圭子さんはそう誓うと日曜休刊を完全日刊に完璧に切り替えました。だから、
雨の日も晴れの日も黄砂が舞っても…→腐っても、完全日刊の仲間入りです。
4歳から始めたピアノがヤマハの講師などのさまざまな経験を経ては、
今では自分の体中を脈々と流れる血液のようになったと思っています。
その音と文字のハーモニーを多くの方に奏でてあげたいと思いました。
音楽をまたやりたい人やこれから音楽を始めたい人の支えになりたい。
それが音と文字を使って圭子さんがやりたい一つです。
そして、もう一つはステージに乗せてあげることです。
だから、今までに舞台やステージに上がったことのない人を乗っけてあげて、
楽しく音と触れ合う素人バンドを作ることが将来の夢です。その一つとして、
先日、東京で開催した冗談みたいな『
ハンドベル@友の会』を発足しました。
すでに確実に着実に自分の夢へと近づいています。でも、ネーミングがねぇ。
そして、ゆくゆくはこの素人バンドで老人ホームとか介護施設などを回って、
音楽の楽しさを味わいながらも、いろんな人に喜びを与えて行きたいんです。
自分ができることをA3の用紙に書き出したら、
自分が持っているものしか出てきませんでした。
そして、それが今の圭子さんにできる楽しいお仕事です。
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生徒には厳しいけど撮影では笑顔の圭子さんは、
“いくら考えても私には音楽と文字しかないの”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“だから、それを使ってお役に立ちたいんです。
きっとそれが自分の存在価値だと思いますよ”
ってね。
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