今、岐阜の街といえどもクリスマスに向かって盛り上がっています。寒い岐阜の街といえども。
そして、そこかしこでは原色のポインセチアが1年に1度の自分たちの時間を謳歌しています。
12月25日のクリスマスの夜に生まれた一人の男がいます。身長は181cm。体重は64kg。
36歳。独身。しかし、今の状況を望んでいた訳でもありません。そう、出会いがなかったの。
そして、記念すべき第16回目の砂金の人は、株式会社片桐園芸の片桐健二さんです。細身です。
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ハウスの中で微笑む36歳です。
そして、25日には37歳です。
これと言って悪いところはありません。
だから、それがいけないのでしょうか。
羽島郡の田園ですくすくと育ったために、
キケンな香りが浄化されてしまいました。
私から見て危険だと思っている部分は、
花粉を身につけていることぐらいです。
でもね、本当にやさしくていい男です。
それと同じくらいちょっと変だけどね。
そして、バシッとスポットを当てました。
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片桐さんは創業34年の植木のリースや造園などを業務とする会社の2代目です。
そう、片桐さんが22歳のときに先代の社長である父親が病気で亡くなりました。
55歳という若さです。そして、先代は思いっ切りワンマンな社長だったので、
営業から経理から借り入れからなにからなにまですべて一人でやっていました。
そして、それ以前から始まっていた苦労話を笑いと涙を交えて語っていただきました。
11月18日(土)に、岐阜県羽島郡の花粉が舞う会社とご自宅にお伺いをしました。

片桐さんと出会ったのは5〜6年前のことです。だから、大体のことは知っていました。
私は2代目の苦労や今の問題などを語ってもらおうと思い【砂金の人々】に選びました。
本人は「まったく僕にはなにもないし面白くもないですよ」と自信なさ気に言いました。
たしかにそうかも知れない。しかし、今さら変える時間もない。ってことで始めました。
私たちの前には熱い珈琲が2つ置かれていました。片桐さんは手前のを少し啜りながら、
「僕は高校に6年もいました」と言いました。「え、なんだって?もう一度言ってご覧」
「僕は高校を6年かかって卒業しました」と片桐さんは改めて私に言いました。「ほう、
インタビュアー垂涎の素晴らしいお話じゃないですか。大好物です」と私が言いました。
片桐さんはその当時、腰痛だったんです。笑うな!私もそうだけど腰痛は腰が痛いんだ!
中学まではなにもやらなかったのに高校に入ったら野球部で頑張ろうと一生懸命でした。
頑張り過ぎた結果、激しい腰痛です。
すると勉強も手につきません。そう、
腰の調子が悪いだけで全部の歯車が、
音を立てながら崩れてしまいました。
授業中も「なんで勉強をするんだ?」
「いい大学にさえ入れば成功者か?」
本当にいろいろと悩みました。そう、
その時代がバブルの真っ只中でした。
詰め込み教育に大いに疑問を感じて、
腰の痛みに耐えながら苦悩しました。
だから、単位が取れなくなりました。
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そして、高校2年生を2回やった後に2年間休学して、それから高校3年生をやりながら、
高校2年生の単位を取得しました。「でも、友だちは一杯できました」と彼は言いました。
腰が痛い。あまりに痛いので休学中のある日、病院に行ったら「腰椎分離すべり症ですよ。
すぐに入院して手術します」と言われました。痛いはずです。でも、切る訳にはいかない。
だから、雑誌で見つけた評判のいい東京の整体に通いました。なんと半年間も通いました。
しかし、新幹線で整体に行く人も珍しいし交通費がバカにならないので地元に変えました。
片桐さんはやっとのことで高校を卒業しました。聞くところによると高校の在籍期間って、
6年間が限界らしいです。さぞかし先生方もホッとしたことだと思います。21歳でした。
21歳で高校を卒業しました。18歳ばかりの高校3年生の中で21歳の成人がいました。
当然、学校ではお酒を飲みませんが、それは校則であって法律的にはお酒が飲めたんです。

卒業してからは一生懸命に働きました。腰の痛みに耐えながら。でも、それから1年後に
先代であるワンマン経営の父親が逝ってしまいました。だから、考える暇などありません。
とにかくなんでもいいからがむしゃらにやりました。25歳の片桐さんはふと思いました。
このままでは絶対に死ねん。高校の6年間は地獄の毎日でモノクロの人生だった、ってね。
楽しいことはなにもなかった。だから、なんでもやってみようと思い消防団、青年会議所、
商工会青年部、船井総研の勉強会等々。25〜30歳までは別人のようになんでもやった。
それも高校の6年間と言うモノクロの暗い人生があったからです。そして、30歳からは
さらに仕事に打ち込みました。すると嫌ってほどあった借金が少しずつ減っていきました。
その頃から造園とお花の文化を学びに海外へ頻繁に出かけました。オランダやドイツなど
ヨーロッパを中心に大いに学びました。片桐さんは庭師じゃなくて街の植木屋さんになる。
そう誓いました。ヨーロッパで感じたのは、庭師は木を見て基本どおりに木を切りますが、
僕は庭を見て庭に合ったように木を整える。キレイな眺めを作りたい!と強く思いました。
でも、取材の後に片桐さんの部屋に入ったら足の踏み場もないほど汚かったです。そして、
病院に鉢を置くだけでなくて患者さんにお世話をしてもらいたい。そうすると患者さんは、
生きるハリができてきっと元気になります。生命があるところに生命は芽生えるものです。
片桐さんは足の踏み場もない汚い部屋で淡々と語りました。緑で人を元気にしたいんです。
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片桐さんは『ガイアシンフォニー』と言う映画を観ました。
自然をテーマにしたシリーズの映画です。その第5作目で、
物理学者が「全ての存在は時空を超えて繋がっている」と
熱く語りベートーヴェンの『月光』をピアノで弾きました。
物理もピアノもすべては繋がっているんだと。片桐さんは、
深く感動しました。そして、ピアノを弾けばなにか分かる。
そう思ったのでまったく弾けないのにピアノを買いました。
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それがガスター10みたいな名前の
ザウターとか言うドイツ製のピアノで160万円です。
案の定、練習している曲は前述の物理学者とまったく同じベートーヴェンの『月光』です。
どうですか?ちょっと変でしょ?でもね、マジメでいい奴です。だれかお嫁に来ませんか?
今ならもれなく160万円のガスター10がついてきます。ま、月々3万円の分割だけど。
片桐さんは言いました。こうしてなんでも取り組むことができるのはコンプレックスです。
高校時代の6年間と言うモノクロのコンプレックスがあったからこそ今の僕があるんです。
「でも、感謝をする気にはなりませんでしたよ」と片桐さんは言うと「32歳までは」と、
目の前の柿の種をボリボリ食いながらまばたきもせずに淡々と私に語り続けました。そう、
感謝をするようになったのは32歳を過ぎて自分が精神的にも肉体的にも楽になったから。
本当に自分が辛いとか苦しいときに一体、どこのどいつが感謝なんてできるのでしょうか。
心から自分の過去に感謝をできるようになるためには今の自分が楽になるしかないんです。
それしか絶対にあり得ません。今、苦しいのに感謝をしていると言う人は単なる願望です。
そして、片桐さんは続けました。「楽になるためには楽になるまで続ければいいだけです。
でもね、絶対に頑張ったらダメですよ。頑張った結果はきっと最悪の事態しか起きません」

頑張ってピアノのコンクールに出たり譜面を読もうと思ったりしないからピアノが弾ける。
高校時代も楽しむ程度に部活の野球をやっていたならきっとこんなに腰など痛めなかった。
適度な適当が生きるためには一番いい塩梅です。でも、周りの環境が無理を強要させます。
努力とか忍耐とか根性とか訳の分からない目にも見えない無機質なくだらないものをです。
あれだけ酷かった腰痛も自分の体と戦うんじゃなくて受け入れて生きていこうと思ったら、
今ではまったく痛くも痒くもなくなりました。だから、ただ現状を続ければいいだけです。
そして、精神的にも肉体的にも少し楽になったら、
自分の歩んだ過去に感謝をするようになりました。
すると気持ちまでが自然と明るくなってきました。
だから、片桐さんは自分の貴重な経験と緑を使って多くの人を元気にしたい。
樹医みたいな特定の木を治すんじゃなく緑を作ってそこに生命を形成したい。
そう思っています。今、食べていける自分のままでいいし、そのままがいい。
だから、無理に稼ぐんじゃなく自分にしかできないことだけをやり続けたい。
そう熱く淡々と私に語ってくれました。最後に黙々と『月光』を7分間も弾きながら。
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頼んでもいないのに勝手にピアノを弾く片桐さんは、
“楽になるまで続ければ絶対に楽になりますよ”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“だから、頑張ってもきっとくじけるだけです。
頑張って成功するならバブルははじけません”
ってね。
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