第29号 村田嘉奈子さん (三重県亀山市) 2007年12月03日取材
「あのな、名古屋なんて1人で行ったことないんやわ」と彼女は言った。
「三重やったらJRか近鉄使えば1本やろ」と私は怒りを抑えて答えた。

「兄さんな、迷子になったら勘弁な」と藤山寛美のような声で言うので、
「俺はお前の兄貴じゃねぇんだよ!」と吐き捨てるように言ってやった。

ただでさえ心拍数が異常なほど高いのに、こっちの方が勘弁してもらいたいものです。

そして、記念すべき第29回目の砂金の人は、三重県にお住まいの村田嘉奈子さんです。

とにかく、そこらじゅう動き回る元気な女で〜す!

とにかく、こいつと話していると
マラソンをやるより疲れるんです。

言葉がまったく通じやしません。だから、
分からないなら分からないと言ってくれ。

お願いだから分かったような顔をするな!

村田嘉奈子。42歳。♀。
私の逆鱗に触れる女です。

どうせ「ぎゃくりんってなんやの?」と、
藤山寛美った声で訊いてくると思います。

疲れるけど、かなこの人生にズームイン!

「お前な、逆さの鱗と書いて“げきりん”って普通は読むんだよ!分かったか!」 あ、大変失礼しました。年甲斐もなく取り乱してしまいました。でも、本心です。 こいつはいい奴だとは思いますが、話していると私の中の怒りの導火線に火が点きます。 12月3日(月)に、JR名古屋駅にある高島屋で豆腐を食いながらお話を伺いました。 住宅ローンがたくさん残っているの♪ とりあえず、撮影用にキレイにしました! 随分前のことですが「あたしは絶対に家を出る!」とかなこからメールがありました。 3分後「兄さんな、住み込みで働けるとこしらんか?」とケータイで訊ねてきました。 私は「知らん」と答えると「さよか。ほな愛車に乗ってとにかく家を出るわ」と残し、 夜の亀山市を駆け巡りました。私は、今だから言いますが眠れないほど心配しました。 その翌日、かなこから「どこも行くとこあらへんかったで、さっき家に戻ったわ」と、 しゃーしゃーとケータイで掛けてきました。だから、私の逆鱗に触れまくる女でしょ。
なにがあったのかは分かりませんが、
家には旦那と2人の可愛い娘たちと、

かなこがいつもジジイと呼んでいる
旦那の父親がいます。あ、これだな。

これ以上は、ここでは言及しません。
かなこは今、徹底的に働いています。

火曜日と金曜日は近くのスーパーで
朝から晩まで働き、それ以外の日は

鈴鹿市内にある病院の中のシアトル
なんちゃらコーヒーで働いています。

そんなに家に居ることが辛いのかい!
どう? 可愛いイラストでしょ〜♪
と、普通は思ってしまいます。そうです、そんなに辛いんです。いたたまれません。 かなこは「私が出るしかないんや」とよく泣いたので「心配するな、先に死ぬ」と、 これ以上の励まし文句はない!というアドバイスを私はしょっちゅうしたものです。 でも、世の中は本当に不思議なものです。かなこがシアトルなんちゃらコーヒーで 働き出した途端、そのお店の売上げが急激にアップしました。それはなぜでしょう? そう、そのお店は病院の中にあるのでお年寄りがとっても多かったのです。だから、 かなこはお年寄りから絶大なる信頼を得てハイレベリーな評価を受けていたのです。 だったら、旦那の父親くらいちゃんと面倒をみたらどうなんだ!と私は思いました。 せっせと描いてんねん お母ちゃんの形見やからね たった今、ふと思いましたが、このまま書き続けてもいいのでしょうか。いいんです。 かなこは、1人だけを除いてお年寄りの心が、気持ちが、ツボがよく分かる女性です。 さぁ、その1人とは一体だれなんでしょうか。あ、みなさん想像しましたね。これで みなさんも立派な共犯者です。それをかなこは、実の母親の看病のときに覚えました。
あ゛ー、思い浮かばん!!!
遠い昔ですが、まだ鮮明に残っている記憶です。

それは、かなこがまだ16歳のときのことです。
母親が45歳という若さでこの世を去りました。

かなこが13歳のときに発病しました。
3年間も苦しんだ病気は乳がんでした。

父親と3つ上の兄と7つ下の妹がいました。しかし、
父親は会社へ出勤しますし、兄は遊んでばっかです。

かなこは、たった1人きりで7つ下の妹の世話と家事と母親の看病をしました。 必死でやりました。苦しいという言葉では言い表せないくらい苦しかったです。 遊びたい盛りの中学生です。普通に遊んでいる同じクラスの友だちがとっても 羨ましかった。でも、普通の中学生の生活ができない自分を分かっていました。 かなこは、慣れたんです。1人きり我慢することを覚えるとそれに慣れました。 そうやって自分は周りの友だちとは違う境遇なんだと頭の中で吹っ切りました。
朝の支度。学校へ行く。洗濯をする。
妹の面倒をみる。病院へ看病に行く。

帰ったら洗濯物を取り込む。晩ご飯。
お風呂を沸かしながら片づけをする。

泣いても疲れても、
この繰り返しです。

涙が出るうちは、まだ辛くない証拠。
本当に辛いときは涙も愚痴も出ない。

奴は、生意気にもそう抜かしました。
でも、来る日も来る日も耐えました。

作品も載っているサイトです♪→


ちょっと寄って見たってや!!
そうして、家から一歩も出ることができなかったかなこは、遊びたいという欲求を イラストにぶつけました。家の中でできる遊びと言ったら、お絵描きくらいでした。 家事の合い間に、病院から帰宅したら、かなこは描き続けました。妹も大喜びです。 遊びたい気持ちを絵の中の登場人物たちに託しました。それが唯一の楽しみでした。 現実には会ったことも触れたこともない人物を描きながら、彼らとお話をしました。 かなこは、そうすることによって今の置かれた状況を楽しむようになっていました。 えだまめ君を描いている真っ最中! どうでっしゃろか? 母親が45歳で亡くなったとき、16歳のかなこはせいせいしたと思いました。 それが正直な気持ちでした。もうやることはすべてやったという満足感でした。 「イラストはお母ちゃんからの形見やわ」とかなこは豆腐を食いながら言うと、 「兄さんの手伝いができるものイラストのおかげやん」と不気味に笑いました。 そうです。今日では、超尊敬する杉山さんのおかげで少しずつではありますが、 イラストでお金が入るようになったんです。グレイトな杉山さんのおかげです。 「でもな、イラストは人に喜んでもらえばそれでいいんやわ。あたしはな、 もっとたくさんの生の人間たちと触れ合えるような仕事がしたいんや」と、 かなこは、大きな音を立てながら湯豆腐のだし汁を一気に飲み干しました。 スーパーの仕事もコーヒーの仕事も、お金ではなくとっても楽しい。 1人でも多く、今までに会ったことのない人たちと出会ってみたい。 それが当たり前のことだとは思えないからです。 中学生のとき、クラスの友だちが羨ましかった。 今、できるだけ人と触れ合える瞬間を味わいたいとかなこは思っています。 そして、楽しいイラストをたっくさん描いてみんなに喜んでもらいたいと。 今のかなこを支えている多くのものは、母親の看病から学んだものでした。
これからも、よろしく頼んまっせぇ〜!
イラストの依頼も増えてきて最近、調子こいてるかなこは、

“お母ちゃんが元気なとき、なにも教えてもらわなかった”
そう言うと、さらに続けて言いました。

“自分の娘たちにはあたしがいなくても大丈夫なようにと、
 日頃から自分たちだけで生きて行けるように育てている”

ってね。
こうして少しずつイラストの依頼が増えてきたのも、
私をはじめ多くの人たちとの出会いの賜物なんです。

ちなみに、たまものと読みます。

まぁ、正直、私はなにもやっていませんけど。

かなこは、地元でもいろんな活動に積極的に参加すると、
このように中日新聞のチラシにも載るようになりました。


鈴鹿市では有名なチラシやねん



鈴亀ホームニュースってなに?


←これは間違い探しのイラストです


ちょっと前までは、そこらのフツーの主婦Aだったのに、 少しの努力とキッカケだけでこうして生意気になります。
ちょい緊張してますぅ〜





今、ふと思い出しましたが、全国甘党のカロちゃんも、
かなこが頼んでもいないのに勝手に描いてくれました。


お久しぶり!カロちゃん!


よく「私なんかとても…」と言う人が多いですが、 大丈夫です。かなこでもこうしてできるんだから。 おそらくあなたが頭に描いた程度のことなど100%達成できます。 間違っても素手で空を飛びたいなんて思うバカはいない前提ですが。 まぁ、かなこを見ているとイライラするけど、 なにがあっても生きて行く行動力は立派です。 私がちょっとしたことで悩んで目の前の壁にぶち当たったとき、 かなこの顔を壁にぶち当てたと思うとすこぶる元気になります。 本当にありがとうございました。今度は関宿に行くんでよろしくな。                                            


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