申し訳ありません。今まで黙っておりましたが、岐阜にはバローよりも
素晴らしいスーパーがあったのです。そう、その名はスーパー三心です。
品揃えも豊富でとってもチープ(安い)です。ソッと目を閉じると、
幼い頃に見たあの小さなスーパーがまぶたの裏側に浮かんできます。
そうです!まさにそれが昭和の面影を今に残したスーパー三心なのです。
そして、記念すべき第30回目の砂金の人は、訪問マッサージを生業とする田原正史さんです。
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見たままの好青年です。その彼の名は、
ポーク。それはココ壱のカレーの名だ。
申し訳ありません。今、酔ってます。
久し振りに飲んだ辛口は強烈でした。
ちなみに、大量のカラムーチョだけど。
カラムーチョでも3袋も一気に飲むと、
舌が麻痺して泥酔状態に陥るものです。
田原正史。30歳。カラムーチョとは、
およそ関係はありません。いい男です。
でも、そっち系には興味はありません。
田原正史さんの今にズームイン!です。
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ちなみに、冒頭でお伝えしたスーパー三心ですが、
田原接骨鍼灸院がある岐阜市南蝉に
ポツンとあったのでちょっと書いてみただけです。それ以外のなにものでもありません。
いい感じにカラムーチョが回ってきました!では、派手に始めましょう。湖池屋、最高!
1月18日(月)に、南蝉の交差点を右折すると次の道をさらに右折して到着しました。

田原さんとは今回の取材ではじめて会いました。それまでに電話でお話をするどころか、
メールを交わしたこともほとんどなかったです。でも、なぜか彼を知りたくなりました。
だから、私はそっち系には興味などありません。きっと接骨院というのもありましたし、
親子で商売をやっているからというのもあったかも知れません。それに岐阜市だったし。
そうです。我が家から田原接骨鍼灸院までは愛車のドリーム号で15分の距離なのです。
ドライブがてら気軽に取材ができることを「私は会いたいんだ」と錯覚したのでしょう。
それを西日本では、ご縁と呼びます。
この田原接骨鍼灸院は、田原さんの
お父さんが始めた治療院です。でも、
当初は接骨院だけでした。そうです、
息子の正史が鍼灸の資格を取得して、
最新版にバージョンアップしました。
ところが、正史さんが治療するのは、
土日の週2日間だけなのです。私は、
マリアナ海溝よりも深い憤りを覚え、
「働け!便所蜂!」と罵倒しました。
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せっかくお父さんが28年前から始めたこの治療院を…。私は、情けなく思いました。
すると彼は「杉山さん、違うんです。僕には本業があるんです」と涙目で言いました。
「What's the matter with you?」と私は訊ねました。「ほう、それはなんだ?」
という意味で言ったつもりの英語ですが、本来の意味とはまったくかけ離れています。
なんと正史さんには、訪問マッサージという本業があったのです。ま、知ってたけど。
高校を卒業すると家業の接骨院を手伝いましたが、自分の力を試したいと思った彼は、
体が不自由で通院することができない方のお宅まで出向いてマッサージをするという
今のお仕事を1人で始めました。でも、昔の彼はそんないい奴ではありませんでした。

中学時代の彼は、陸上部に所属していました。中でも400メートル走の選手でした。
ま、世の中にあるスポーツの中でも最も理不尽なスポーツです。King of理不尽です。
だって、無酸素で走るんだよ。脳に酸素が行き届かないんです。でも、正史は走った。
15歳の彼は、岐阜県の大会で3位となりました。おそらく鳥取県では優勝でしょう。
岐阜県で3番目に理不尽な中坊となった正史さんは、調子こいてスポーツの
名門校へ
迷わず進学しました。中でも一流のアスリートたちと英語でお話したいと思った彼は、
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国際コミュニケーション科を選択しました。正史は、
英語を学んでカール・ルイスと喋りたかったのです。
過剰なほどミーハーな人間でした。しかし、案の定、
高校に入ると400メートル走の記録は伸びません。
まったく大笑いだぜ。そして、正史は挫折しました。
さらにケガを負うと選手としての道を断念しました。
生まれてはじめて悔し涙を流しました。また親とは、
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顔を合わせるたびケンカが絶えず、よく家出をしたものでした。そんなときです。
お父さんが胃癌だと分かりました。しかし、発見が早かったので今でも元気です。
でも、当時の彼は「俺が跡を継ぐんだ!」と決心をしました。17歳の夏でした。
冬かも知れません。自らがケガを負い選手生命を断たれたとき彼は思ったのです。
他の選手のためにトレーナーになりたい、ってね。そして、その頃にお父さんの
胃癌が発見されました。彼は、ご縁のようなものを家業の接骨院に感じたのです。
おぉ!自分で言うのもなんですが、
こじ付けとしては最高レベルです。
では、24行ほど上へ戻って下さい。
彼は、訪問マッサージを始めました。
彼の人柄のせいもあってか、
訪問マッサージのお仕事は、
モーレツに繁盛しています。
今では2人のマッサージ師を雇って、
3人体制で市内を駆け回っています。
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でも、そんな正史さんにも悩みがありました。それは、今後の展開についてです。
実は、正史さんのお父さんは、元警察官だったのです。悪い奴を捕まえるために
刑事になろうと頑張りました。でも、なんと交通課に配属されてしまったのです。
お父さんは凹みました。そして、28年前に警察を辞めると接骨院を始めました。
お父さんは、今の患者さんだけと付き合ってのんびりやりたいと申しております。
でも、息子の正史は接骨、鍼灸、訪問マッサージと手広くやっていきたいのです。

正史さんには1つの想いがあります。接骨院では味わえないことが、訪問マッサージでは
たくさん体験できるのです。基本的に体が不自由で病院などに通うことができない人しか、
訪問マッサージを受けることはできません。だから、正史さんが手を差し伸べる方たちは、
重い障害を負っています。毎日、正史さんはそのような方たちと真剣に向き合っています。
彼は「行くだけで喜んでもらえますよ」と嬉しそうに言いました。彼の患者さんの中には、
全身が麻痺して頬の一部しか動かない女性もいます。しかし、その女性は、半年前までは、
普通に暮らしていたどこにでもいる女性でした。ところがある日、突然に原因不明の病が
彼女を襲ったのです。まだ30代です。旦那さんも子どももいる普通の主婦だったのです。
彼は「普通が一番幸せだということを患者さんたちから教えられます」と言いました。
当たり前のように立って歩き、当たり前のように明日が訪れる暮らしが一番幸せです。
正史さんがいくら頑張っても麻痺した手足が元に戻る訳ではありません。でも、
なにかしらお役に立ちたい。少しでも笑みがこぼれるお手伝いをしたいのです。
自分の存在が、それほどまでに強く望まれている今日に心から感謝しています。
だから、もっと多くの方たちと触れ合いたい。さらに手を差し伸べたいのです。
生きていくためにはお金も大切ですが、人から望まれることも命の源泉だと思います。
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30歳だけどなんと3人も子どもがいる正史さんは、
“将来は、国からの還付金などに頼りたくないです”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“介護保険や健康保険に頼らない独自のサービスを
大切な患者さんたちへ提供し続けていきたいです”
ってね。
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