お金や家族を失っても、決して自分を見失わない。
人間としての気高さは、自らの中にあるはずです。
今、この飽食の時代に愛のメッセージを伝道する1人の九州男児がここにいます。
そして、記念すべき第31回目の砂金の人は、孤高の旅人のような末次孝さんです。
 |
みなさま、一週間のご無沙汰でした。
司会の玉置宏でございます。嘘です。
彼の名は、末次孝。57歳。
血液の色は赤。福岡県出身。
訳あって家族は別々に暮らしている。
後で話してやるから騒ぐんじゃねぇ。
小・中学生の頃はダントツな成績で、
みんなの希望の星(ホープ)でした。
でも、今ではタバコのホープを毎日、
吸ってます。博多のみんなゴメンね。
末次さんの怒涛の人生に興味津津です。
|
昨年の12月に「お顔を拝見したいんですが」と末次さんからメールをいただきました。
私は「では、取材させて下さい」と依頼すると「ひどいですけど…」と返って来ました。
そ〜んなひどいと言っても知れているだろ!と思っていた私ですが、本当にひどかった。
2月10日(日)に「シロノワールが食いたい」と駄々をこねたので食いに行きました。

末次さんは、JRの鈍行に乗って兵庫県は川西市から都心の岐阜駅までやって来ました。
まぁ、新幹線を使っても1時間程度しか違わないそうです。そして、私を見つけるなり、
「コメダがいい」と笑いました。全国の方に言いますが、私はネタで使っているだけで、
そんなに素晴らしい喫茶店でもありません。うるさいから2人で歩いて行きましたがね。
そして、お店に着くまでに人生の3分の1を喋ってくれました。それは、散歩するには
あまりに悲惨な物語でした。まったく違う意味でカロリーが急激に消費された気分です。
末次さんがまだ小・中学生の頃です。
気味が悪いくらい勉強ができたので、
先生やクラスメイトだけじゃなくて、
その地域の希望の星でした。だから、
彼を知らない人間はいませんでした。
博多で生まれ育った彼は、福岡では
有数の進学校に余裕で入学しました。
なんとその高校は、毎年約30人が、
東大に入るような名門だったのです。
その高校に末次さんは、550人中、
余裕こいた4番で合格しましたがね。
|
|
本当にいい時代だった。でも、みなさん!こらからが本番です。高校1年のときです。
朝、目が覚めたら父&母がいませんでした。それどころか、テレビなどの家電製品も
な〜んにもありません。テーブルの上には「親戚の○○へ行きなさい」という1枚の
置き手紙だけを残して。2つ上のお姉さんと6つ下の弟と3人、泣きじゃくりました。
そう、理容院を経営していた父&母には借金があったようです。俗に言う夜逃げです。
3人は書面で指定された親戚の家まで歩いて行きました。すると、親戚は夜逃げ先を
知っていたので、夜汽車に10時間も揺られて大阪に居る父&母の元へと行きました。
まだ9歳だった一番下の弟だけをそこへ置いて、あとの2人は福岡にある知り合いの
割烹料理店に住み込みで働くことになりました。本当に辛かった。まさに悪夢でした。
末次さんは毎朝、5時に起きると仕入れのために魚市場と青果市場まで自転車を漕ぎ、
6時には朝刊を配っていました。学校は仮眠所です。でも、水球部に属していました。
水球で疲れた体で夕刊を配達し、それからお店に入り夜遅くまでお手伝いをしました。

そんな調子なので550人中で500番まで落ちましたが、後ろに50人もいました。
このとき末次さんは、自分は将来、板前になるものだと当然のように思っていました。
でも、お店の大将が「大学を出てからでも板前にはなれるから」と言ってくれたので、
高校3年から朝&夕の新聞配達をやりながら一日8時間以上もの猛勉強をやりました。
すると、どうでしょ。550人中で3番になったのです。その年、東大が紛争のため
受験が行われませんでした。なので、仕方なく九州大学の工学部へ入ってやりました。
彼は、大学を卒業すると板前ではなく大手ゼネコンへ就きました。入社3年目にして
念願が叶い、海外勤務となりました。イラクです。そこで、激うつ症状となりました。
|
もうなんともならないほど落ち込んでしまったので、
現場の所長と一緒に日本へ帰ることになったのです。
帰国するとすぐに3ヶ月ほど入院しました。そして、
職場に復帰すると次は東京へ転勤の辞令が出ました。
そこで現在の奥さんと出会い、そして結婚しました。
でも、結婚してから3年目でその会社を辞めました。
なぜって、末次さんがある事件を起こしたからです。
|
奥さんにまったく相談もせずに、千葉か茨城の土地の手付けを打ってしまったのです。
金七十万円です。さらに20万円分の会社の持ち株を換金しようと手続きをしました。
でも、幹事会社である日本で一番大きな証券会社のOLが海外旅行に行っていたので、
事務処理が土地の契約に間に合いませんでした。すると、最高に激昂した末次さんは、
日本で一番大きな証券会社の本社まで行って「社長を出せ!」と怒鳴り込んだのです。
そして、訴訟を起こしました。その結果は、和解金の20万円をもらって終わりです。
なんのこっちゃ分かりません。手付けの金七十万円もパーです。訴訟を提起する前に、
会社には迷惑が掛かると思って彼は辞表を出したのです。そう、20万円のためにね。
そうでした。そう症状のことですよ。
末次さんは、そう&うつ病なのです。
土地の契約をしたときも、そう症状。
怒鳴り込みや訴訟を提起したときも、
そう症状でした。でも、悲しいかな
そう症状は、自分では気づきません。
うつは、布団に潜るから分かります。
でも、そうのときは病気が完治した、
自分は完璧なんだと思い込むのです。
だから、なにか問題を起こすときは、
自分の中のそうが発症したときです。
|
|
そんなときは毎晩、飲み歩いたりサウナに泊まったりして10日間以上も帰りません。
自分が世の中のために最も役に立っている存在だと信じてまったく疑わないそうです。
だとしたら、私も立派なそう病かも知れません。私ほど素晴らしい霊長類はいません。
鏡に向かい「お前は一番素晴らしい」と真顔で呪文のように平気で唱えられる私です。
しかし、うつ症状のときは自分が生きているだけで世の中の迷惑になると凹むのです。
う〜ん、私の場合「あなたは目ざとくて邪魔」とは言われますが自分では思いません。
仕事も次から次へと変わり、そう&うつを繰り返されるたびに奥さんは疲れたのです。
そして、ある日「お父さん、お願いだから出て行って」と末次パパは言われちゃった。

今から7年前に上の方にズラッと並んだ写真の家へ1人、移りました。歩いて8分だけど。
初めの頃は、いろいろと思いました。でも、今では月に一度は奥さんや娘さんと会います。
ちょっと前ですが、面と向かってでは恥ずかしいので奥さんにメールを送りました。そう、
今まで苦労ばかりかけて悪かったね。今まで支えてくれてありがとう。お詫びと感謝です。
すると、今では奥さんからのメールにハートマークが付くようになったそうです。しかし、
テキストのメールではハートマークは付きません。きっとケータイのメールだと思います。
末次さんは私に「安くても不味いものはないから貧乏も慣れれば楽しいよ」と言いました。
なんじゃそれ!「辛いときは好きな女性のことを思う。思うだけならタダだから」ってね。
幼い頃、日銭が入る理容院の息子だったのに学校の給食費が満足に払えず恥ずかしかった。
しかし、なんとかなりました。だから、その頃から貧乏を苦にしないことに慣れたのです。
それって、いいことなのか?
末次さんは32歳のとき、超難関の国家資格である
技術士に一発で合格しました。
これをここで書いたのは、お話の流れ上、どこにも書く場所がなかったからです。
そう、このそうはそう症状のそうではありません。そう、身の丈に合った人生を送りたい。
山っ気を持たずに今の収入の中で地道に生きて行く自分を感じたいと微笑んで言いました。
いつかは博多に帰りたい。その思いを胸に、今日も明日も日々淡々と過ごすだけなのです。
|
脇目も振らずシロノワールを食い切った末次さんは、
“学歴や資格があっても実力がないとまったくダメ”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“また、全部が揃っていても人柄がよくないとダメ。
人柄さえよければ全部をまかなえるはずだからね”
ってね。
|
上記のご自宅の写真は、末次さん自身に撮影してもらいました。
ここで職歴一覧です。
会社名 勤続年数 退職時
------------------------------------
●大手ゼネコン(7年) そう状態
●I橋産業 (3ヶ月) うつ状態
●日本振興 (1年8ヶ月) そう状態
●国際技術C (5年) そう状態 (ここまで家族と同居)
●日東KK (1年) うつ状態
●鈴鹿S (12年) そう状態
●日本海C (2年6ヶ月) うつ状態 ------------------------------------
●滋賀S (1年6ヶ月) うつ状態
●新井KK (3年) 倒産 (ここから家族と別居)
●M建設 (3ヶ月目) 現役
※入社時は、100%そう状態です。
末次さんは、今でも薬は飲み続けています。
それでも、多少の浮き沈みはあるそうです。
そして今回、このように洗いざらいすべてをさらけ出した理由は、
少しでも同じような境遇の人の支えになりたいと思ったからです。
決して頑張ることなく、身の丈に合った生き方がきっと大切だし、
第一、病気は、生きていなければ罹りたくても絶対に罹れません。
生きている証の1つです。
病気でも貧乏でもどんなことがあろうとも、生きたもん勝ちです。
今の世の中には、いくら安くても不味いものなんてないんだから。
本当にありがとうございました。数年後に続編が書きたいですね。