午前8時。大垣インターから名神高速に乗った。実に爽やかな朝だった。
私たちは、京都へ向かっていた。なのに滋賀県の大津インターで降りた。
それは、京都への道をゆっくりと丁寧に訪ねたかったからだ。
ふるきをたずねて新しきを知る。温故知新っぽい人間なんだ。
そして、記念すべき第33回目の砂金の人は、現役の京大生で単位がピンチな村田佑介さんです。
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ユースケはなんとピチピチの21歳です。
ってことは、私の半分も生きていません。
ヤング、ヤンガー、ヤンゲストな男です。
極端な話、私の息子でもおかしくないの。
胃が、ムカムカしてきました。
こんな息子なんか要らないし。
気を取り直して、彼は奈良県の出身です。
でも、今は京都です。ただそれだけです。
困った。。真剣に書くことがない。
まだ21年間しか生きていないし。。
もう遅いけど取材しなきゃよかったかも。
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君には本当のことを言おう。そう、私たちが滋賀県の大津インターで降りた本当の理由だ。
午前6〜9時の間にETCを使うと高速料金が半額になるからなんだ。だが、走行距離が
100キロ以内じゃないとそのサービスが適用されないんだ。大垣〜大津インターまでは、
丁度99キロだ。1つ向こうの京都東インターで降りると102キロになってしまうんだ!
4月15日(火)に上記の姑息な計算をした
志賀さんと一緒に京都まで行ってやりました。

申し訳ないけど、私だけなら、もっとゆっくり家を出発して京都東インターで降ります。
無意味に細かいからね、志賀さんは。この間なんか自分の髪の毛の本数を数えていたし。
なぜこのような裏話を延々と書くかと言うと、ユースケについて書くことがないんです。
あいつ、21年間しか人間やってないしねぇ。取材も10分くらいで終わっちゃったし。
京大の学食でランチを食ったことと銀閣寺の前の商店街で
生八ッ橋を試食したことしか
覚えとらん。でも、そこは百戦錬磨の杉山さんが無理にでもバシッと書き切ったるがね。
幼い頃のユースケは、不気味なほど
勉強ができたのです。超優秀でした。
どれだけ気を抜いても100点です。
たまには70〜80点を取りたいな。
って言うくらい勉強ができたのです。
そこで、東大に嫌ってほど合格する
地元の東大寺中学をお受験しました。
すると落ちたがね。そう、超優秀な
小学生の初めての挫折だったのです。
「ぼ、ぼくが、このぼくが…」と、
言ったかどうかなんて私は知らん。
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「ま、しゃーない」とあっけらかんとしたユースケ少年は、仕方がないから全国でも
最も多く京大へ送り込んでいる京都市内にある
洛南中学に入ってやりました。そこで、
なぜか剣道部の部長を務めました。そして、高校は芋づるった洛南高校へ進学すると、
なぜか合唱部の部長を務めました。2件とも先輩から「部長を頼む」と言われました。
まぁ、このお話はオチがないのでこれくらいしにして、高2になったユースケ青年は、
合唱の他にバンドを始めたのです。エレキギターです。毎晩遅くまでバンドをやって、
京大の受験に失敗したがね。ばか。そう、受験日の寸前までバンドをやっていました。
周りの友人からは「落ちて当たり前や」と白い目で見られました。それって白内障か。

そして、ユースケは
駿台予備校に通いました。朝〜晩まで必死に勉強したと思いきや、
実にのんびりとした毎日を過ごしました。勉強は、予備校の授業しかやっていません。
それでも2回目の受験で京大の経済学部に合格したのです。経済学部を選んだ理由は、
授業に出席しなくても単位が取りやすいと聞いたからです。この男はそーいう男です。
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ちなみに、滑り止めは同志社大学でした。あ、
同志社大学を卒業して自慢しているみなさま。
ゴメンね、その大学って単なる滑り止めなの。
それにね、ユースケは1年目も受かってたの。
そんな大学に通いたくもないから浪人したの。
そんな大学を本気で自慢しているみなさまへ。
本当にゴメンね。でも、嬉しいお知らせです。
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マズイです。非常に微妙なのです。このままだと確実に単位を取得できずに留年です。
年間に30日しか学校に行っていないので自業自得だけど。すでに人生の敗北者です。
あろうことかユースケは今、留年に備えて必死こいてアルバイトをしている最中です。
学費の60万円を学校にも行かずに朝〜晩まで稼いでいるのです。するとユースケは、
「どうしてみんな学校に行く暇なんかあるんやろ?」とふざけたことを抜かしました。
そう、奴は3つの
バンドをかけもちでやっていたのです。だから、勉強をする暇など
三毛猫の額ほどもありません。私は、
家賃が7万円以上もする分不相応な
マンションの一室へと潜入しました。
なんてこったい!驚いたことに、
教科書が1冊も見当たりません。
ユースケに「教科書は?」と訊ねると
「ははは、ありませんわ」と半開きの
口で笑って返しました。全然ダメね。
それに部屋の中はブラッキーなので、
限りなく陰鬱に近い青年になります。
■友だちに作ってもらいました…→
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ユースケは「別に、なにがなんでも京大へ入りたかった訳でもありません」と言うと、
「中学のときからズッとそんな環境だったから入っただけです」と小さく頷きました。
それは、周りの環境に合わせただけ、親や親戚や学校の先生の期待に応えただけだと。
「みんな羨ましがるけど、僕は自分の意志で決めちゃいないです」と打ち明けました。

「ユースケ!甘ったれるんじゃねぇ!」私はユースケの左の頬を殴った。
「い、痛ッ!な、なにするんですか!」ユースケは涙目でビビっていた。
「京大に入りたくても入れない奴は腐るほどいるんだ」私は背中で言うと、
「実力はあるのに同志社や立命館に行かなきゃならん奴もいる」と続けた。
「そ、そんな大学に行く人が。。」と呆然とするユースケに「志賀さんをよく見ろ。
蟻のように生徒が多い日大出身なんだぞ。それでもこうして姑息に生きているんだ」
私は、諭すように言った。ちなみに、お察しの通り上記の6行はフィクションです。
私が「将来こうしたいってのがあるよね。最後をそれでまとめるから」と言うと、
ユースケは「ないっす」と3秒で返しました。「え?」と私。「は?」とあいつ。
それがなかったら、この砂金の取材自体がパーになるんだよ!
高速に乗ってわざわざ来てやった意味がまったくねぇじゃん!
キレそうな私に、奴は「サラリーマンにはなりたくない…」と恐る恐る言いました。
「了解!んじゃ、先輩たちは一流銀行や立派な上場企業に就職して満足そうだけど、
僕は、そんな枠にはまった生き方なんて絶対に嫌だ!起業してやる。で、どうだ?」
「あ、それでいいっす」
ってことで、村田佑介は1年ほど留年すると、なにかしらの事業を始めるそうです。
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銀閣寺前の商店街でぜんざいを食ったユースケは、
“でも、本当に起業したいと思っているんですよ”
そう言うと、さらに続けて言いました。
“その前にマジで単位がヤバイです。留年しても
いいように、今からアルバイトで稼いどきます”
ってね。
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